平和主義の実現を目指す慶應義塾有志の会

慶應義塾の社中有志による、戦争法案に反対する会です。

戦争法案の廃案を求める警告文

戦争法案の廃案を求める警告文

 

 現在、国会では、安保関連法案(戦争法案)が審議されている。これは、日本帝国主義がより一層の犠牲を日本に住む人々に課すとともに、世界中に侵略戦争を仕掛け、各地の人々から更なる収奪を行うための法案である。即刻、審議停止をする以外にない。

 

 日本帝国主義は、あの1945年に息絶えたのではなく、むしろそれから経済的に強化され、変質して今に至っている。領土拡張は表面上鳴りを潜めたが、「戦後」も、東アジア・東南アジア・中東・アフリカをはじめとした諸地域の人々への経済的侵略をしていき、ときには「後方支援」「復興支援」などの名目で、軍事的にもアメリカ帝国主義による侵略の片棒を担いできた。「昭和天皇ヒロヒトを中心とする日帝国家権力は「沖縄」を米軍に軍事占領させ、暴力的に作られた米軍基地は日本復帰後の今も沖縄に多く残り、日本国内の74%の米軍基地が沖縄県に集中している。そうして沖縄に押し付けられた基地から、B52爆撃機ベトナムの人々を殺すために出撃していった。

 現在国会で議論されている戦争法案は、日本がアメリカによる世界への侵略戦争に、今よりも直接的に手を貸すことを法的に可能にすることを目指したものである。それこそがアメリカ帝国主義の要請であり、日本の巨大グローバル企業をはじめとする支配層の要請なのである。

19世紀末以降、重工業を発展させた欧米日の列強は、軍事力を背景にアジア・アフリカなどに広大な植民地を保有した。第二次大戦が終結、多くの植民地が形式上の独立を手にし、アメリカを中心としたグローバル経済の発展をみた。肥大化したグローバル企業群にとっても植民地主義による経済圏は手狭であり、より大きな、世界規模の市場を求めるようになった。冷戦が終結し、21世紀に入った今、アメリカをはじめとした帝国主義の強大な軍事力は、グローバルな規模で、支配層に都合のよいルールの下での「自由市場」を維持するために用いられている。

 安倍晋三による「戦後70年談話」は結びにこう語る。

 

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」

 

 日帝安倍は、(巨大グローバル企業の利益のための)「自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ」るという。「自由、民主主義、人権といった基本的価値」を堅持するという粉飾をこらし、軍事力による利益追求を正当化するための「積極的平和主義」(=積極的戦争主義)なのである。支配層が守ろうとする「国際秩序」とは、自らの利益を守るための秩序である。

 

 かの怪物たちは、自らの底なしの欲望が、民衆と完全に敵対するものであることを自らさらけ出している。具体的にいえば、各種世論調査での戦争法案に対する反対の声の増大もその一つの表れである。怪物たちは、「民主的な」手続きにおいてそこまで追い込まれているからこそ、「解釈改憲」というクーデター的手法を用いて法案を正当化しようとしているのだ。そこにおいて、「立憲主義を守れ」と唱えることは戦術として大事なことである。

しかしながら、我々が「立憲主義を守れ」という点のみに依拠して、「安全保障の『現実的な議論は必要』」というタカ派的主張を容認することは許されない。我々が追求するべきは軍事力を保持しない平和主義であり、それこそが支配層の攻撃から、個人の尊厳・生命・権利を守るための最低限の理念だからである。同時に、それこそが、我々が一国内の議論に終わらず、帝国主義的収奪に苦しむ世界人民と連帯する道だからである。

 

 我々は、平和主義を大学において唱えること、権威や権力への批判的議論をつねにし続けることの重要性を、義塾の経験から、いやというほど理解している。だからこそ、学内において政権に対する批判的言論や研究が国家によって禁じられたり、まして、それらを自ら圧殺することがあってはならない。

「学問の自由」は言葉遊びではない。権力との緊張関係の中で、実践的に批判精神を養う中にのみ、それは存在する。

「学問の自由」は、特権的な研究者の専有物ではない。もったいぶった末にやっと象牙の塔から出てきて、国会前でスピーチしては、表面的におだてられて好い気になっているような軽薄な学者サンだけの物ではない。学生の自由な議論を抑圧する学園に、「学問の自由」などあろうはずがない。

我々は、慶應義塾を、平和主義の拠点としなければならない。学問を平和のためにささげなければならない。

 

我々は守るのではない。獲得するのだ。学問の自由を。そして、平和主義を。

我々は断固として安保法案の審議即時停止・廃案を求める。

我々は、我々の敵を許さない。

 

2015年8月15日

平和主義の実現を目指す慶應義塾有志の会